1086年にはその原型ができていた周庄(周荘)、その誕生のいわれは元の時代の大富豪、潘万山が村の北にある白蜆江から水を引いたのが始まりなんだとか。かつては周辺地域の水運や商業の要所として繁栄し、今でも6割以上が残る明清時代の建物や水路の風景が訪れる人々を魅了してやまない場所なんです。
大好きな赤提灯揺れる水郷風景を求めて今回も行ってきました!
町の入り口に着きました。
町の中に住んでいる人は別の入り口を使っているのでしょうか。
運河に到達すると早速遊覧船の姿が。
せっかく来たならば乗らないわけにはいきません。
古鎮内の通りはとても狭く、こうしてパッと眺めただけでは見えませんが、実は道の左右には古い家屋にまぎれて多くの商店があるんですよ。
富安橋のすぐ傍には当地でチョッピリ有名なお菓子「万三糕」が売られています。もち米と砂糖から作られるお菓子には色んなバリエーションがあって、甘さも控えめなんだそう。
こちらは、この周庄(周荘)を開いたと言われる瀋万山の子孫である豪商が、清の乾隆7年(1742年)に建てた屋敷です。沈庁のある通りの建物は間口がどれも狭いので見逃しそうなんですが、一歩入ると奥へ奥へと続く部屋の多さが意外!
内部は7つの中庭と5つの門が直線的に配置され、玄関部分、居間部分、そして住居部分へと縦に連なるスタイルは“前庁後堂”建築と呼ばれています。
昔の水郷地帯の主要交通が船だったため、沈庁の前にはかつて来客を送り迎えしていた船着場も。ちょうどこの対岸には観光周遊船の船着場があります。
朝から多くの観光客が入り口周辺で写真撮影しているこちらが「張庁」です。明代の中山王徐達の弟である徐孟清の子孫に建てられた屋敷は、周庄(周荘)に現存する数少ない明代建築の1つとして貴重な存在。清代初期に一族が衰退し始めた頃、張という姓の者に売り渡したことから「張庁」と呼ばれるようになったんだとか。こちらも中には約70もの部屋があるんですよ!
明の万歴年間(1573~1619)に建てられた「世徳橋」と「永安橋」が、周庄(周荘)観光で外せない見所の1つ“双橋”。直角に繋がるこの2つの橋は、その姿が古代の鍵の形に似ていることからカギ橋とも呼ばれています。かつてこの橋を描いた陳逸飛の絵画が、鄧小平時代の国際交流舞台に登場したことで、周庄(周荘)そして双橋もが世界的な名所になったんだとか。
町の南にある全福寺。北宋時代の1086年に周迪功郎という人が自邸を寄進したのに始まるお寺で、周庄という町の名前はこの周氏の荘田というところからきているそうです。
それぞれの建物が池に囲まれるようにして建っています。